代表プロフィール

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木村 泰久(きむら やすひさ)

公益社団法人日本医業経営コンサルタント協会 認定登録医業経営コンサルタント 第4803
宅地建物取引士(東京)第078694号

令和04年06月(公社)日本医業経営コンサルタント協会 理事退任
平成30年06月(公社)日本医業経営コンサルタント協会 理事就任
平成30年06月(公社)日本医業経営コンサルタント協会 歯科専門分科会オブザーバー
平成25年06月 (公社)日本医業経営コンサルタント協会 歯科専門分科会委員長就任
平成25年04月 (公社)日本医業経営コンサルタント協会 理事就任
平成24年04月 (公社)日本医業経営コンサルタント協会 企画調査委員会 歯科専門分科会 委員長就任
平成23年04月 (社)日本医業経営コンサルタント協会 企画調査委員会 歯科部会委員就任
平成21年06月 (社)日本医業経営コンサルタント協会 神奈川県支部理事就任
平成21年06月 (社)日本医業経営コンサルタント協会本部 支部支援委員就任
平成21年03月 同大学客員教授を退任
平成19年04月 同大学客員教授に就任
平成19年03月 LEC東京リーガルマインド大学教授退任
平成18年07月 M&D医業経営研究所を株式会社に改組
平成14年12月 文部科学省からLEC東京リーガルマインド大学教授号授与後、同大学教授就任
平成14年 M&D医業経営研究所設立
昭和47年 東証1部上場 飛島建設に入社、平成13年退職
昭和47年 関西大学商学部卒業
昭和25年 神戸市生まれ

 

章罰
令和03年10月 J A H M C学会賞 特別賞
令和元年10月 J A H M C学会賞 特別賞
平成25年10月 J A H M C学会賞 最優秀賞

経営コンサルティングの得意分野

1

売上を増やし、収益性を向上させるための経営戦略策定、マーケティング対策の立案、実施指導。

2

組織を活性化させる人事制度の策定支援と実務的なアドバイス。

3

キャッシュフロー経営など経営手法のわかりやすい解説や、 顧客満足を勝ち取るための接遇研修などの実務指導。

企業の経営改善手法を応用した、わかりやすく実践的な経営指導を心がけております。また、歯科医院に対する経営指導では、(社)医業経営コンサルタント協会神奈川県支部の第一人者といわれています。

パーソナリティー

スポーツ:ヨット / スキー / テニス ヨットは49歳まで全日本社会人対抗ヨット選手権に選手として出場。クルーザーレースのコーチができます。1級小型船舶操縦免許。電話級無線通信士。日本セーリング連盟B級ジャッジ。レース運営のお手伝いができます。H17年から、H18年まで東京医科歯科大学ヨット部の470級コーチをさせていただいておりました。 今は、兵庫県の新西宮ヨットハーバーに、友人達と共有で33.5ftのクルーザーを係留しています。休めないので年に数回しか乗れませんが、それが仕事のモチベーションにつながっています。

嗜好:酒ほどほど。禁煙歴30年以上。食べ物の好き嫌いなし。 スキーはライセンスなし。アフタースキーで温泉につかった一瞬を心より愛しています。 冬季に時間が空けば、蓼科や湯沢など温泉のあるスキー場に一人でふらりと出没します。 テニスは万年初心者。左足首のじん帯を断裂してしまったため止めてしまいました。ゴルフは、進行上迷惑をかけるのとカモになるのがイヤで極力避けております。

趣味:音楽(JAZZ、ボサノバ、ボーッとできる音楽、ときどき演歌とクラシック。)

読書:経営書。海に関する本。

その他:男子高校卒、大学も体育会系クラブ出身。

苦手:…。マイナス思考の人。

家族:1男1女、妻1人。

主な職歴

歯科医院のコンサルタントとなって12年が経過しました。おかげさまで、(公社)日本医業経営コンサルタント協会の理事に就任いたしました。また、(公社)日本歯科医師会の歯科医療白書の執筆委員を務め、「歯科医療白書2013」「歯科医療白書2008」の担当部分を執筆いたしました。単著での著書も4冊を数え、著名な永山正人先生等と共著した「歯科医院コンサルティングマニュアル」は好評で、現在でも増刷を続けております。

歯科界で唯一の定期経営セミナーである「歯科経営改善ゼミナール」も開始から10年を経て、みなさんにご好評をいただいております。その他の「自費話術セミナー」や「歯科カウンセラー養成講座」、「接遇セミナー」なども、毎回多くの先生方やスタッフのみなさんにご参加いただいております。現在の当社のクライアント歯科医院は現在100軒ほどです。私が直接お伺いしている顧問先や当社から出張接遇研修をしている歯科医院、全国に広がる通信経営コンサルティングの「M&Dマーケティングクラブ」の会員、当社で「ホームページ制作」し、月次管理をしている歯科医院、さらに「院内報の原稿配信サービス」を提供している歯科医院があります。これに当社のセミナーに継続的に参加されている歯科医院を含めますと、250軒ほどになります。

当社が主宰するM&D歯科経営研究会に加盟いただいている、全国の会計事務所や経営コンサルティング事務所などのクライアント歯科医院数を含めると、当社から情報発信をしている歯科医院数は1千軒以上になると考えられます。開業にあたって経営コンサルティングのターゲットを絞ったのは、病院向けのコンサルティングでは大手コンサルタント事務所がすでに市場を固めており、個人経営のコンサルタント事務所が対応できるのは診療所だけだろうと考えたからです。そして、競争環境や医院数の多さ、診療報酬などの状況から、経営環境が悪化している歯科医院に経営コンサルティングニーズがあると考えたのです。

開業当時は、歯科医院専門の著名な経営コンサルタントは、2軒ほどしかありませんでした。私が開業したころに相次いで2軒ほど開業したコンサルタント事務所があります。それ以後、歯科医院のコンサルタントがブームになった時期があり、参入するコンサルタントが相次ぎました。しかし、10年を超えて生き残っているのは数軒だけです。私は、10年を超えて歴史を重ねることができるのは「本物の証」だと思います。

当社のクライアント歯科医院には、チェア3台から21台にまで成長した医院や、当時日本最大級の歯科医院で15億の売上高だった医院が、昨年は21億円で決算をするなど、めざましい成長をしております。売上高10億以上の歯科医院が複数ありますが、多くは1億円〜5億円の間の歯科医院です。この中の多くは、当初は3千万円から5千万円台の歯科医院でしたが、1億円を超えるところまで成長してきたわけです。また、勤務医やスタッフの退職に悩まされている医院が多いのですが、人事労務対策の結果、定着率が向上し、それにつれて技術力が蓄積し、患者とのコミュニケーションも深まり、結果的に患者数の増加に結びついてきている医院もあります。医学と同じように、経営学でも多くのエビデンスが積み重ねられてきています。

私は、前職のゼネコンで社長秘書や、経営企画、人事企画、そして営業企画を担当し、自ら戦略を企画し実践する機会を得ました。そのなかで体験として積み重ねてきた知恵と経験に加え、過去12年間にわたり、多くの歯科医院の経営改善に携わったなかで、歯科経営をとりまくあらゆる領域にわたる情報と知識、そして人脈を形成することができました。また、専門性の高い知識や経験を持つスタッフにも恵まれました。そして開業以来、多くの歯科医院の院長の悩みを受け止めながら、解決のために自ら学習し工夫してきた知識や経験が「本物」であったこと、これが私の経営コンサルタントとしての財産であり、最大の強みだと思っています。 今後ともよろしくお願い申し上げます。

前職での担当業務など

私の前職は、上場ゼネコンの飛島建設株式会社です。当時は全国で10指に入る規模でしたが、経営不振で倒産の危機に瀕し、今では規模は小さくなりましたが健全経営になっています。昭和47年、最初に配属されたのは大阪支店の経理でした。また、湖南開発本部という部署では経理と労務安全の主任と、同本部のTQC(全社的品質管理)推進室長をさせていただきました。

33歳で社長秘書、36歳で経営企画部経営戦略担当。大阪支店、北陸支店、海外事業戦略を担当。さらに、大手経営コンサルタントを起用して戦略策定や経費効率化対策などを行っていました。40歳でCI(コーポレートアイデンティティ)プロジェクトチームリーダー。社長→筆頭専務→私というシンプルなラインで約2億円の予算をいただき、全社の意識改革運動を担当しておりました。そのときにバブル崩壊。過剰投資で会社は倒産の危機に瀕し、社長は退陣。私は戦犯扱いを受ける身となりました。退職も考えましたが、上司の強い勧めで人事部に異動しました。それは、経営再建に入ってきた富士銀行の主導するプロジェクトで、人事部担当課長として、経営再建のための人事企画を立案し、運営することが私の任務となりました。いわば従業員の動揺を抑えながら経営の裁量権を最大化するための人事施策です。

具体的には、職能評価制度の修正、就業規則の賞罰規定の修正、特に懲戒処分の運営、CDPの設計、経営危機のなかでの優秀人材の採用対策などの企画と運営を行いました。そして最後に、ゼネコンで最初となる500人規模のリストラの企画と運営を担当しました。これはとても辛い体験でした。リストラ終了後に退職を決意しましたが、上司から強く慰留され、人事とは無縁の大阪支店営業部に異動させていただきました。

本社では、訴訟事件などが発生するたびに対策本部に詰めておりました。営業推進時代も合わせ、高額の工事代金の回収や贈収賄などの刑事事件、労災事故、解雇など多くの訴訟対策、事件対策を弁護士と協力して対応し、貴重な経験を得ることができました。大阪支店に異動したのは平成7年1月1日付けでした。そして1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。神戸の実家で地震に遭遇し、実家の片付けもそこそこに翌日から会社の設置した震災対策本部に駆けつけました。神戸市と協力して救援活動の指揮と運営にあたりました。

その後、大阪支店営業推進課長、神戸統括出張所副所長、関東建築支店営業推進部長、埼玉支店建築営業部長として、営業戦略や受注拡大対策を自ら立案し実施してきました。PFI事業による施設建設と運営を自治体に提案するなどの取り組みも、他社に先駆けて行ってきました。

営業部門での仕事の一つが、医療機関向けの増改築の提案営業でした。これは図面を提示するだけでなく、事業収支やファイナンスまでプランを詰める必要があります。PFI事業では15年間程度の運営計画そのものも制作します。つまり経営コンサルタント業務の一部でした。経営改善対策としては、ISO9000シリーズ、14000シリーズの導入準備委員も務めさせていただき、品質マニュアルなどの設計や内部監査にも携わってきました。このため、歯科医院でもISOを取り入れている医院がありますが、その面での経営指導も可能です。

先のTQC推進室の経験もあり、歯科医院のTQM活動の指導も行っています。また、経営企画部勤務以降、数多くの問題解決手法の研修を受ける機会を得て、社内講師も担当しておりました。医業経営コンサルタントの資格も在職中に取得しました。

そして2003年、飛島建設が経営不振にあえぐなか、思うところあって退職させていただきました。すでに53歳でした。開業までの数ヶ月は経営戦略論やマーケティング理論、組織人事理論などの復習、医療や保険についての勉強に費やしました。2004年4月にM&D医業経営研究所を開設しました。

ご縁あって、精神病院の経営顧問や多くの歯科医院の経営顧問を勤めさせていただくことができました。またこの2004年に、運よく医療図書でわが国最大規模の日本医療企画から著書「病医院キャッシュフロー経営成功の秘訣60」を出版できました。同社からはその後も出版を重ね、2006年7月刊「成功する歯科経営 最強のマーケティング」は、発売から半年間、Amazon歯科関係図書部門で売上1位を記録しました。出版社によれば、発売から10年を迎える現在でもご好評をいただいているようです。

平成17年12月には文部科学省からLECリーガルマインド大学の「医業経営概論」教授号をいただき、同大学の教授に就任しました。平成19年3月に退任し、平成21年3月まで同大学の客員教授を務めました。

おかげさまで、今では全国的に著名な歯科経営コンサルタントの一人として、雑誌などでも紹介していただけるようになりました。これまで私を支えていただきました多くの皆様に本当に感謝しております。小さな事務所ですが、従業員も増え、業務内容も充実してまいりました。これからも頑張って歯科界、医療界の発展にご協力させていただきたいと考えております。よろしくお願い申し上げます。

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